1976年6月27日、パリ行きのエールフランス139便がテルアビブを離陸後、旧西ドイツのゲリラに乗っ取られ、強制着陸させられたのがウガンダのこのエンテベ空港です。7月3日、イスラエル政府は奇襲部隊を派遣。エンテベ空港の管制塔の許可を得ずに、3機の大型輸送機をエンテベ空港に強行着陸させ、人質は1人を以外は全員無傷で解放されたと言う、有名な事件があった空港です。当時の滑走路やターミナルは現在は国連などの輸送基地になっており、新しい滑走路がビクトリア湖に向かって延び、ターミナルも新しくなっています。(上の写真は空から見たエンテベ空港。左手斜めに延びるのが旧空港の滑走路。右側がビクトリア湖)
新しくなったとはいえそれも70年代後半のことで、空港ターミナル自体はこじんまりとした田舎の空港のたたずまいです。旧ターミナル地区に2007年に国内専用施設が完成したとか、また国際線にもボーディングブリッジが一つ完成したとか聞きましたが、わたし自身は2005年以来出かけていないので定かではありません。(上の写真は国際線ターミナルから搭乗のために歩いているところ)
国際線で到着後は一階左端の入り口からホールへ入ると目の前に入国審査ブースがあります。2005年当時はヴィザをもってなければ、その後ろの事務所で購入できました。今はどうなっているかは不明です。日本での情報では黄熱とコレラのイエローカードが必要だといわれましたが、05年当時は全くフリーパス。おっと、入国カードの記入を忘れずに。右を向くと荷物を受け取るベルトがあり、その先のほぼフリーパスの税関を通ってロビーに出ましょう。ちなみにバッケージクレームエリアにあったトイレはとても近代的で清潔でした。ロビーではホテルの迎えやらタクシーやらでごった返しています。タクシーを雇ってしまいましょう。簡単に見つかります。カンパラの町まで昼間は混み合うので、少なくとも一時間は見ておきましょう。深夜なら30分で大丈夫です。(上の写真は、ウガンダ国内線でエンテベから北部のグルまで飛んだEagle Airの飛行機。今でも飛んでいるでしょうか)
出発は二階からです。出発ラウンジにはコーヒーを飲める場所はあります。近頃立派なところが出来ていますので、ナイロビよりも時間をつぶすのには困りません。でも何気なく始まる搭乗に取り残されないように。(上写真は、2005年当時ターミナル内にあった喫茶店)
なお2005年当時、空港ターミナルに入るまでの外のセキュリティーは大変厳しく、荷物を開けられることもしばしばでした。ところがターミナル内のセキュリティーレベルはとてつもなく低かった。今はどうなっているでしょうか。
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